2008年01月24日

"So you'd given up looking for the Hallows ..." 第35章573ページ

第35章をすでに読み終えられた方は「続きを読む」をクリックしてください。

「それじゃ、Cloakを目にしたときにはすでに秘宝を探すのはあきらめていた?」
「ああ、うん」とダンブルドアは力なく言った。ハリーと目を合わせるのに無理をしているようだった。「何があったのか君は知っている。私が自分自身を軽蔑している以上に私を軽蔑することはできない」
「でも、僕はあなたを軽蔑したりなんてしません。」
「だったら、軽蔑すべきだ」とダンブルドアは言い、深く息を吸い込んだ。「私の妹の病気の秘密を君は知っている。あのマグルたちがしたことや、妹がどうなったかを。私のあわれな父が仕返しをしようとした経緯や、その代償を払ってアズカバンで死んだ経緯を。私の母が自分の人生を投げ打ってアリアナの世話に尽くしたことも君は知っている。
私はそれをおもしろくなく思っていたのだよ、ハリー」
ダンブルドアは思い切って冷たくそういった。いまや、ダンブルドアはハリーの頭の上を通り越してはるか遠くを見ていた。
「私は才能があり、優秀だった。私は逃げ出したかった。才能を発揮したかった。栄光がほしかったのだ。
誤解しないでほしい」とダンブルドアは言った。苦痛が顔をよぎり、そのためダンブルドアの顔はふたたび年老いて見えた。「私は彼らを愛していた。私は両親を愛していた。弟を、妹を愛していた。しかし、私は自分勝手だったのだ、ハリー。非常に我欲のない人間である君に想像できるよりずっと私は自分勝手だったのだ。
そこで、母が死んだとき、傷物となった妹と不良少年の弟という責任を残され、私は怒りと苦い気持ちで自分の村に戻ってきた。閉じ込められて逃れられず、才能を持ち腐れさせられていると私は思っていたのだ!そして、そこへ、もちろん、あの人がやって来た。」

最初の文は過去完了で、"you'd"は"you had"の省略形です。つまり、ダンブルドアがCloakを見た時点(過去)ですでに起こっていた出来事なので、過去より一時制前にさかのぼり、過去完了形となっています。

この部分はダンブルドアにとっては非常につらい告白だったと思います。過去の巻で死ぬよりずっと悪いことがあると言っていましたが、それはこのことだったのでしょう。悔恨の念を持って自分を責めつつ一生生き続けるというのは死ぬよりずっとつらいことに違いありません。
posted by みちえ at 18:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 気になる英語表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おじゃまします。
最終章の佳境の部分を訳して頂き、漫画 日出処の天子(山岸涼子著)のイメージが、なぜか浮かびました。
ダンブルドアの家族の苦しみ、ダンブルドア自身の苦しみ・・・
指輪物語の魔法使いで賢者ガンダルフと比較されることもあるダンブルドアですが、物語を引っ張ってきた賢者は、ここに来て、6巻の死よりも衝撃的な過去を持つ苦悩の人として描かれ、この物語に誰一人としてステレオタイプな人物はいないと思い知らされました。
Posted by さく at 2008年01月25日 18:35
ダンブルドアのエピソードがこれほどまでに語られるとは予想していませんでしたので、強烈な印象でした。
改めてこのように読むと、ダンブルドアは「人間なんだ」と感じます。
愛ももちろんありましたが、悩み、苦しみ、自分を責めては生きていたというのを感じます。
一連の行動やハリーに対して、スネイプに対して、気になる部分がありましたが、ひとりの人間として苦しんでいたことを強く感じ、ダンブルドアの気持ちを察すると、重いものを感じてなりません。
それでも生きていかねばならないという苦しみをずっと通して感じていたのでしょうね。
こうした心に潜む気持ちなどの部分は戦闘シーンよりも気になります。
Posted by kmy at 2008年01月25日 19:37
さくさん、コメントをありがとうございました。「日出処の天子」はわたしも読んだことがあると思うのですが(山岸涼子は好きな漫画家だったし、日本古代史には一時期たいへん凝っていたので)、具体的には思い出せません。苦しみの部分がさくさんその漫画をイメージさせたのでしょうか。
おっしゃるとおり、過去の巻では優秀な魔法使いで、寛容で深い知恵を持った完璧な人間のように描かれてきたダンブルドアですが、最後に来てその弱さが暴かれ、人間像に深みがでてきていると思います。ハリー・ポッターの人物描写は白黒というよりはもっと複雑なものがありますよね(最初の巻では、善悪がはっきりしすぎているという批判も受けていたようですが)。

kmyさん、わたしもこうした部分は非常に重いと思いますが、かえってこうした部分に惹かれます。
すでにダンブルドアのエピソードはアバフォースの口から十分ほどに語られていますが、敢えてこの章でも、今度はダンブルドア自身の口から語られているのは、おっしゃるとおり、意外な感じですね。それだけ、作者がこの部分を重視していたということでしょうか。
これに続くアリアナの死をめぐる部分も、ダンブルドアの苦悩の重要な要素が描かれていると思うので、引き続き訳してみたいと思っています。
Posted by みちえ at 2008年01月25日 21:23
みちえさん、早速のコメントありがとうございます。「日出処の天子」の聖徳太子は、不思議な能力が有り同性愛者で、両親の愛に恵まれず孤独に生きていましたが、誠実な男(蘇我蝦夷)を好きになり救われます。
(蝦夷はストレートなので同時に絶望もあったかも知れません)
蝦夷の腹違いの妹は幼い頃から蝦夷に憧れていますが、アリアナの様な悲劇にあってしまいます。理不尽で残酷な暴力の前に怒りと無力感を覚えた感情が、思い出されて全く違う話なのにイメージが重なったのだと思い出しました。

ダンブルドアの様な中心人物を深く重層的に描くことで、単なる謎解きや冒険譚で終わることなく、不朽の名作として長く読み続けられると思います。
Posted by さく at 2008年02月05日 16:17
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/80404306

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。