2007年11月24日

第34章 感想と気になる点

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この章はたいへん感動的な章だと思いました。特に最初の部分は、ハリーの健気さに涙が出てきてしまうほどです。前章ではハリーのショック、特にダンブルドアが最初からハリーが死ぬことを計画していたことに対するショックについてはほとんど描かれていませんでしたが、この章ではハリーの立場からそれが深く描かれています。また、自分のからだに象徴された生々しい生とこれからハリーが直面する死がコントラストを成しながら、生と死というこのシリーズ全体を流れるテーマが鮮明に描かれていると思います。死とは何かということを考えさせられました。

これまでハリーは死の危険に何度も立ち向かってきましたが、死ぬためだけに出かけるというのは初めてのことです。これが本当の勇気というものだと感じさせられました。ヴォルデモートが死を恐れていたのに対して、ハリーは死を恐れながらも敢然とそれを受け入れようとしました。それは、ほかの人たちに対する愛からであり、その愛こがハリーをヴォルデモートより強くしたと言えるでしょう。

ここで、"I open at the close"というスニッチに刻まれたダンブルドアの言葉の意味が明らかになりました。これについてはどのように"close"を解釈するかについてみなさんの間でも「コメント」で議論がありましたが、7章で明らかにしないで、ここまで待ってよかったでしょう?こうした感動的な場面で、本当の意味を知っていただきたかったのです。

さて、死んでしまった(緑の光線だし、当然ヴォルデモートは死の呪文を使ったのでしょう)ハリーは今後どうなるのでしょう?
posted by みちえ at 02:59| Comment(3) | TrackBack(0) | 気になる英語表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
みちえさん、こんにちは。
いよいよ佳境ですね。

ところで、I open at the close.の意味について、訳されている解釈で間違いなく、またそれが一番感動的だと思いますが、7巻を訳しているあるサイトによると、closeには「校庭」という意味があり、だからホグワーツの校庭で開いたんだ、という解釈が載っていて、うーんなるほど、そうだとするとダンブルドアはそこまで予測(ホグワーツの校庭でハリーが最後を迎えること)していたのか、と感心したことがあります。

辞書を引いてみると、たしかにcloseには校庭という意味があるようですが、やはり一般的ではないのでしょうね。
Posted by linapapa at 2007年11月24日 10:54
linapapaさん、たいへん興味深いコメントをどうもありがとうございました。レスが遅れましたが、これはご意見の中身を検討していたためです。
わたしの英和辞典にも"close"の意味の中に「校庭」というのが含まれていますが、これは"close"が中庭(もともとの動詞から発生した「閉ざされているところ」という意味から来るようです)を指し、それの応用として校庭をも意味することがあるということのようです。確かにスニッチが開かれたのはホグワーツの構内ではありますが、禁じられた森に近いopenな場所で、closeという意味とはちょっと異なるような気がします。
また、ここでは、"This is the moment"とハリーも思っていますし、場所よりは時を示すと考えたほうがよいのではないでしょうか。また、ハリーがスニッチに向かっていう言葉"I am about to die"からしても、closeは「終わり」と解釈したほうがぴったりくるように思われます。もっとも、死が終わりかどうかはわかりませんが。
Posted by みちえ at 2007年11月29日 02:33
みちえさん、私のたわ言のようなコメントに真剣な検討をいただきまして恐縮です。

おっしゃるとおり、作者の意図したcloseの意味は校庭ではないだろうと私も思います。

しかし、"I open at the close."から、「私は校庭で開く」と解釈した方にも、ある種の敬意を表したい気がします。

あと数章ですが、頑張って下さい。
Posted by linapapa at 2007年11月30日 08:43
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